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京都街歩き その2(2020.10.16撮影)
今回は、寺社を歩かずに京都の街にある史跡中心の街歩きです。
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平安京羅城門のモニュメント
京都には何回も訪れているのに、なんでこんなに大きなモニュメントを見落としていたのでしょうか。
京都駅の烏丸中央口を出て塩小路通口の方向に歩いてゆくと大きなモニュメントが置かれていました。何かなと思ってモニュメントの横にある説明板を読むと、平安時代から明治時代に変わるまでの1200年もの間、日本の都であった京都の平安京の羅城門のモニュメントです。
モニュメントは、平安建都1200年を記念して京都の宮大工たちにより創られ、メルパルク京都内に置かれていましたが、平成28年(2016年)の11月にこの地に移設されたものです。
モニュメントの大きさは、幅8m、高さ2.4mあり、夜間はライトアップされますので、後方に見える京都タワーと一緒に撮影するのもいいかもしれませんね。 |
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電気鉄道事業発祥の地碑
日本の国内で最初に電車が走ったのは、1890年(明治23年)5月4日のことで、上野公園で開催されていた第三回国内勧業博覧会とのことですが、事業として電車が走ったのはここ京都の地でした。
碑には、『京都電気鉄道(かつて「京電」と呼ばれていた私鉄で、現在の京都市電の一部となっています。)が、東洞院通り七条下る鉄道踏切から伏見下油掛通りまでの間6kmに渡ってて道を指定運転を始めたのが゛最初である』と刻まれています。
所在地:下京区塩小路通東洞院南西角 |
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五条通りの牛若丸弁慶像
平安時代に、牛若丸(源義経)と弁慶が出会ったという伝説で知られる五条大橋の西側にはユーモアな表情の牛若丸と弁慶の像があります。
子供のころ「京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけてきりかかる」と、今では全く聞かれなくなった歌を口ずさんだことがある人も多いと思いますが、二人が出会った場所には諸説あって、五条大橋より上流に架かる松原橋であったともいわれているようです。 |
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牛若ひろばの太田垣蓮月の歌碑
五条大橋の西詰にある牛若広場という公園にある歌碑で、江戸時代後期の尼僧であり、女性歌人であった太田垣連月の歌碑で、碑には「あすもきて 見んと思えば
家づとに 手折るもおしき 山さくら花」と刻まれています。
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扇塚
扇塚は、鴨川のほとりにある五条児童公園にある塚ですが、塚の脇にある「扇塚の紀」によると、扇そのものがここ京都で平安時代の初期に、平敦盛没後に、時宗御影堂(じしゅうみえどう)派の僧たちにより作られたと言い伝えられていることから、この地が扇の名産地として喧伝され、この顕彰碑が設けられたあります。
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みそそぎ川
鴨川の西を流れるみそそぎ川、「みそぎ(禊)川」とも呼ばれることもありますが、鴨川の分流となる全長2kmほどの人工水路で、1940年代の鴨川の改修時に設けられており、夏には納涼床(ゆか)が造られて、京の夏の風物詩となっており、観光客でにぎわいます。
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くくり猿
飛騨高山で見られる「さるぼぼ」という昔からの人形がありますが、こちらは八坂庚申堂での願掛けに用いられている「くくり猿」といい、「欲を捨てる」と願いが叶うといわれているようで、女性を中心に人気があるとのことでよく売り切れているとか。
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五条坂(上)と八坂道(下)
京の街を歩くと観光客が多く、人を入れずに写真を撮るのは苦労しますが、コロナ騒動で外国人はもちろん入国できず、日本人の観光客も減っているので、晴れているともっていい風景なるんでしょうけどね。
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竹内栖鳳(たけうちせいほう)邸跡
武内栖鳳は近代日本画の先駆者と呼ばれる人で、半世紀に及ぶ画歴の中で京都の画壇を代表する人でした。現在はレストランとなっていて、庭園の見学もできるようですが、寄らずに「ねねの道」に
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ねねの道
東山にある高台寺の西側を通る道が「ねねの道」と呼ばれています。「ねね」とは、豊臣秀吉の正室(北政所とも呼ばれます。)であったおね(のちの高台院)のことで、秀吉が亡くなった後もこの地で余生を過ごしていたことからこう名付けられたものです。
例年なら大勢の観光客でにぎわうのでしょうが、私が訪れときは、私同様にカメラを持った人が数人いただけ、とてもひっそりとしていまました。 |
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石塀小路
ねねの道から西側に入る小路が石塀小路と呼ばれています。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地区ですので、入って写真を撮ろうかなと思まいしたら、「静かに」、「撮影禁止」の札があちこちに掲げられています。この路地に入ってうるさくする人たちが多いんでこのようになったんでしょうけど、残念な道です。
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ねねの小径
こちらは石塀小路よりもさらに細い小径で、まるで民家の庭先のような感じですが、写真撮影はOKとのこと。小径のある下河原町も重要伝統的建造物群保存地区です。
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北政所化粧御殿跡
高台寺の塔頭である圓徳院前にあるこの石碑は、秀吉の正室であったねねが、秀吉没後に伏見城の化粧御殿をこの地に移して常住していたところでした。
現在は圓徳院の境内に庭園が残されています。
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御陵衛士(ごりょうえじ)屯所跡
御陵衛士とは新撰組を離脱し、孝明天皇の陵(お墓)を守るため伊東甲子太郎が同志14名と結成して組織で、高台寺月真院の境内に屯所が置かれてたことから高台寺党と呼ばれていました。
一和同心(日本国が心をひとつにして和する)・国内皆兵・大開国大強国を基本とし、公議による朝廷(公卿)中心の政体づくりを目指す独自の政治活動を行っていましたが、慶応3年11月18日に。近藤勇の接待を受けて帰る途中に、新撰組の待ち伏せにより謀殺され、遺体を引き取りに来た隊士も殺されという油小路事件により解散となりました。
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円山公園
国の名勝に指定されている東山区にある円山公園は圓山公園とも表記されこともあります。
公園は、明治以前には八坂神社(当時は祇園感神院)や安養寺などの境内の一部であったとのことで、明治時代に入って、廃仏毀釈令により政府により土地が没収されて総面積約9万㎡の公園となり、京都市に管理が移管されて京都初の都市公園となりました。
公園内には乗馬場(現在は廃止となています。)、丸山公園音楽堂、隻林寺、西行庵、芭蕉堂などがあり、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像もあります。 |
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坂本竜馬(左)と中岡慎太郎(右)の像
土佐藩を脱藩して幕末に活躍した坂本龍馬と中岡慎太郎、龍馬は海援隊、慎太郎は陸援隊を結成して倒幕の中心となりましたが、二人とも大政奉還直後の慶応3年(1867年)11月15日に近江屋において刺客に襲われ暗殺されいます。
なおこの像は2代目の像で、初代の像は昭和11年(1936年)に建立されましたが、第二次世界大戦時の金属類回収令により供出されており、昭和37年(1962年)に高知県人会の有志により再建されています。
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頼山陽先生墓碑の道標
公園の南西角にある道標で、幕末の歴史家であり、思想家、文人であった頼山陽のお墓がある長楽寺の境内に墓碑があると刻まれています。
頼山陽の著である「日本外史」は、幕末から明治時代にかけて最も多く読まれた歴史書とのことで、日本史上初のベストセラーとなったとのことです。 |
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祇園小唄の碑
園内にあるひょうたん池のほとりに建てられている碑で、昭和の初期に長田幹彦により作詞された「月はおぼろに東山・・・」で始まる歌の歌碑です。
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丸山公園は、「祇園枝垂桜」で有名なところですので、一度花の時期に訪れてみたいと思います。
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