クトナー・ホラ

プラハから東へ約70km、バスで1時間半のところにあるクトナー・ホラ(クトナーホラ又はクトナホラ)は中央ボヘミア地方にある街で、13世紀から16世紀にかけてはプラハを凌ぐ経済・文化・政治都市として栄えていました。16世紀の半ばにはペスト病の流行や銀資源の枯渇にくわえて、三十年戦争もあって街は衰微して言ったとのことです。
この街には銀山の鉱山労働者の守護聖人である聖バルボラ教会があります。ゴシック様式で建てられたこの教会は鉱山労働者屋クトナー・ホラの街の人の寄付等により14世紀末に建設が始まりましたが資金難で中断、完成したのは16世紀半ばとのことです。
この聖バルボラ教会はクトナーホラに隣接しているセドレツの街にある聖母マリア大聖堂とあわせて1995年に「クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
なお、セドレツの観光は聖母マリア大聖堂は寄らずに納骨堂だけとなりました。
 
 

プラハから30分走ると広大な麦畑が続きます。
 
   
  
あまりにも大きくて広角レンズで撮ってもすべて入りきりません。
 
   
   
天井には当時この地方を治めていた貴族の紋章がいくつも描かれています。  
     

パイプオルガン

祭壇

礼拝室

説教壇
 
 
 
 
ここの教会もブドウ畑があります。どうやら自家製ワインを造っているようです。
 
聖バルボラ教会から隣町セドレツにありゴシック様式で建てられている聖ヤクプ教会の鐘楼が見えます。
 
セドレツの全聖人教会の納骨堂
13世紀シトー会の修道院長であったハインリヒが、ゴルゴタの丘の土を持ち帰り修道院の墓地に撒いたとの伝承があり、ボヘミア、ポーランド等周辺各地から埋葬希望者が訪れ14世紀のペスト大流行時には3万人が埋葬されたとのことです。
15世紀に入りゴシック様式の教会が建てられる際に墓地の一部を掘り返し埋葬されていた亡骸を地下の納骨堂に納めたのがこの納骨堂の始まりで、その後も墓地から掘起こされた人骨を収めることとなり、最終的には約4万体分の人骨が収められているとのことです。

 

納骨堂の入口

人骨で造られたシャンデリア
     
セドレツの路地裏    
 
 
 
    
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