高知城・桂浜・今成沈下橋  
    
高知城

慶長6年(1601年)遠江国掛川から土佐へ入城した山内一豊が、浦戸城(桂浜を見下ろす小高い丘の上にありました。)に入城した後に、高知平野にある江の口川と鏡川の間にある大高坂山に掛川城を参考にして築城開始。同8年に完成したのがこのお城です。大高坂山は後に河中山、高智山と名前が変えられたとのことですが、この高智山が現在の高知という地名の元となったようです。
高知城は明治時代の廃城令、太平洋戦争の戦火を免れた現存12天守のひとつであり、天守閣を初めとして追手門、黒鉄門(くろがねもん)等が国の重要文化財に指定されて下り、日本100名上の84番にも選定されています。
 
 

天守閣(手前は本丸正殿)  
  

追手門(重要文化財)
        

板垣退助像と天守閣
 
追手門と天守閣
追手門と天守閣が一緒に見えるのは全国のお城の中でもここ高知城だけです。
 
       

杉ノ段そばで咲いていた山つつじ
 
内助の功で知られる山内一豊婦人千代と名馬の像(杉の段のところにあります)
  
  
野面積み石垣
自然石を積み上げて造られた石垣で、表面は乱雑に見えますが隙間に小石や砂利を詰め込み排水も考慮した工法で造られています。
 

東多門から見る天守閣

三の丸(桜の名所のようですがすでに葉桜でした)
 
忍び返しと石落とし
天守閣の下部には石垣から侵入する敵を防ぐための忍び返しと石落とし(左の写真の下が黒くなっている部分)が設けられています。
        
黒鉄門(重要文化財)
入母屋造り2階建て本瓦葺きの門で、扉に多数の小さな鉄板がつけられていることからこの名前がついたようです。
 
 

天守閣(天守閣の左には残月が)
 
   
 
天守閣から見る高知市街  
   
山内一豊の騎馬像
県立図書館のそばにある像で、大きさは国内最大とか。
 
   
 
 
 
 
はりまや橋
 
市内中心部にり、江戸時代に濠をはさんで店を営んでいた播磨屋と櫃屋(ひつや)が自分たちの行き来のため架けたといわれる橋で、僧純信が恋人お馬のためにかんざしを買ったとの悲恋の物語を題材にした『よさこい節』で有名ですが、橋長はわずか20mしかありません。
 
 

現在の橋は6代目とのこと

地下にある古いはりまや橋の欄干
 
   

交差点にある現代のはりまや橋(赤い橋はこの左側に)

  
 
からくり時計
はりまや橋の道路を挟んだ反対側のビルの壁面にある時計で、朝9時から夜の9時まで1時間ごとによさこい節の音頭にあわせて高知城(上)、桂浜と坂本龍馬(左)、はりまや橋(右)そしてよさ恋踊りの人形(下)が出てきます。
 
 
桂浜
 
『月の名所は桂浜』と歌に唄われる太平洋に臨む桂浜。ここを訪れるのはなんと40数年ぶりです。
 
   
 
        
   
竜頭岬公園の坂本龍馬像(左)と竜頭岬(右)  
        
 
下竜頭岬(左)と上竜頭岬(右)  
   
今成沈下橋
 
沈下橋とは大雨が降り川の水が増水したときに水の中に沈んでしまう橋のことで、普通の端に比べると低い位置に設置されてており、欄干は設けられていません。当然建設コストも安くなるということですが、大雨のときは使えないということにもなります。
最後の清流といわれる四万十川には現在47もの沈下橋があるそうですが、中でもこの今成沈下橋(通称の佐田沈下橋)が一番名が知れているようです。あいにくと雨の中での撮影になってしまいましたが観光船には乗らずに橋まで行って歩いてみました。
 
   
 
   
 
橋の全長は約292mで幅は4.2mですが、道の両側には手すりもありません。途中に広くなっている箇所があるので、車もすれ違うことができます。  
   
 
   
 
 
 
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