金沢城と兼六園

金沢城
金沢市の中心部にある金沢城公園に金沢城と兼六園があります。金沢城は天文15年(1546年)に空堀や柵などを備える城造り寺院の尾山御坊(金沢御堂)が建立されたのが始まりといわれ、天正11年(1583年)に前田利家が入城して以来約300年間前田藩の居城となっていました。天守閣や本丸等は落雷や数度に亙る火災により焼失しており、当時のものが残っているのは石川門、三十間長屋などで、橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓、河北門等が復元されています。
 
 
現在の金沢城のシンボル、左手前から鶴の丸土塀、橋爪門続櫓、中央が五十間長屋、右端は菱櫓(三の丸広場から)
 
石川門口から見る石川橋と石川門(重要文化財)
 
   
一の門(高麗門) 枡形から見る一の門(右)と二の門(左)
 

石川門二の門櫓門
二層二階建ての石川櫓
 

三の丸から見る鶴の丸土塀と内濠

三の丸から見る橋爪門と橋爪門続櫓
 

三の丸広場から見る菱櫓(右端)、五十間長屋(中央)、橋爪門続櫓(左)
 
              
    内濠   菱櫓     
 
河北門
昨年130年ぶりに復元されたこの門は、実質的な金沢城の正門にあたり、石川門、橋爪門と共に金沢城三御門と呼ばれています。
    
  湿生園から見る河北門
右側はニラミ櫓台
 
   


 
枡形から見る河北門一の門(左)と二の門(右) 三の丸広場から見る河北門二の門  
        

二の丸広場から見る菱櫓(左)と五十間長屋
 
   
空濠と極楽橋
空濠は本丸と二の丸の間に設けられた濠で極楽橋でつながれています。
 
 
三十間長屋
極楽橋を渡ってすぐのところにあり、安政5年に建てられた二層2階建ての長屋で重要文化財に指定されています。
 
   
 
戌亥櫓跡からみる橋爪門続き櫓(左)と石川門(右)  
   
兼六園
水戸の偕楽園、岡山の後楽園と共に日本の三名園と呼ばれる兼六園、もとは金沢城に属した庭園であったようで、五代藩主前田綱紀が作庭したのが始まりで、十一代藩主の治脩の代に現在の林泉回遊式大庭園形となったようです。兼六園の名前は白河楽翁(八代将軍徳川吉宗の孫で白河藩第三代藩主の松平定信)に依頼してついたものとのことです。
 
        
 
サンザシ(バラ科) カキツバタ(アヤメ科)  
   
 
瓢池(ひさご)  
   
舟之御亭
船の形をした
四阿(あずまや)です。あまり見かけない形ですね。
 
   
巽閣(せいそんかく)
十二代藩主斉広の正室のために造った隠居所で、巽新殿(そんしんでん)と呼ばれていたものを一般開放時に名前をかえたとのことで重要文化財に指定されています。
 
 
 
値上松 唐崎松  
   
 
霞ヶ池とことじ灯籠  
   
        
        
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