イスタンブール市内観光(そのⅠ)
 
アンカラのホテルを朝8時に出発し、約450km先のイスタンブールへ移動です。今日もまたトイレ休憩以外はバスの中でただ眠るのみです。バスはアジアハイウエーを走り、途中2度のトイレ休憩を含んでイスタンブールの街並みが見えてきたのは約5時間後でした。
   
ゲレデの風景
トイレ休憩で寄ったゲレデの街の風景です。
イスタンブール市街
 
アジアとヨーロッパにまたがる街イスタンブールは、紀元前7世紀頃から街の歴史が始まり、ローマ帝国の都となったのが330年、時の皇帝コンスタンチヌス1世がコンスタンチノーブルと名づけ、以後ビザンチン帝国時代を含めて1000年の歴史を続け、その後オスマン・トルコの攻略によって1453年イスタンブール(「永遠の都」の意味とのこと)と改名され現在に至っているとのこと。
イスタンブールは、1985年「イスタンブール歴史地域」として世界文化遺産に登録されており、今回観光したトプカプ宮殿やアヤソフィヤ、スルタン・アフメット・ジャーミー(通称:ブルー・モスク)、地下宮殿のある旧市街の遺跡公園地区のほかに3ヶ所が指定されています。
イスタンブールの街並み
第1環状線から見たイスタンブールのアジアサイドの街並みとボスポラス海峡です。海峡の先は黒海に続いています。
ガラタ橋
イスタンブールのヨーロッパ側、新市街と旧市街を結ぶ橋で、金角湾に架かっています。この橋の上では太公望が鈴なりになっている風景がよく紹介されますが、この日は少し少ないようでした。
エミノニュ駅とスレイマニエ・ジャーミー
ガラタ橋を旧市街の方向に渡ってすぐのところにあります。写真右後方の尖塔(ミナレット)の建っているのがスレイマニエ・ジャーミーで、オスマン帝国の絶頂期である1557年に完成されたとのことです。
スルタン・アフメット・ジャーミー(通称:ブルー・モスク)
トルコを代表するこのモスクは、6本の尖塔(ミナーレ)が特徴で、1616年に建設されたが、スルタンの「黄金(=アルトゥン)」という命令を設計者が「6(=アルトゥ)」と勘違いしたことからとも言われているそうです。
内部の壁を覆う17世紀のイズニック・タイル、採光のために設置された260の窓は全てステンドグラスとなっており、結構見ごたえがあります。
地下宮殿(イェレバタン・サライ)

イスタンブール市内にはいくつかの地下貯水池が発見されているそうだが、中でもこの地下貯水池は4世紀から6世紀にかけて造られたもので、遠く黒海の近くの森から20kmも引かれた水が、長さ140m、幅70m、高さ8mのこの貯水池にためられ最大8万㎡の貯水能力があったとか。この空間は当初合計336本の柱で支えられていたが、現在は246本となっているそうです。
この地下宮殿を有名にしたのが入って左奥にあるメドゥサの首です。髪の毛の一本一本が蛇で、飛び出しそうに目を見開いたメドゥサの首はその形相から魔よけとして当時は用いられていたそうですが、なぜここにあるのか、ガイドさんの話では、工事のミスで柱の寸法が足らなかったのをあわせるためとか、そのほかにも諸説あるようですが・・・・・
なお、ここではショーン・コネリー扮する007が活躍する「ロシアより愛をこめて」が撮影されたそうです。

横向きのメドゥサの首

        逆さまのメドゥサの首
イスタンブール旧市街の街並み
地下宮殿を出たところの街並みです。
アヤソフィヤ
ビザンチン時代の360年に教会として建てられたこの建物はその後オスマン帝国ではモスクに変貌し、破壊、焼失、地震等もあり、その都度修復が行われたようだが、ビザンチン時代の傑作といわれた内部のモザイクは漆喰で埋められたままで、1931年にその一部が発見されてから脚光を浴び始め、1934年にトルコ共和国の大統領となったアタチュルクが博物館として開放し、現在に至っているとのこと。
ブルー・モスク側から見たアヤソフィヤ

正面入口

      出口付近から見たアヤソフィヤ
テオドシウス帝時代の教会跡
アヤソフィヤの正面入口左側にあるこの教会跡は、4世紀のテオドシウス帝時代に建てられた教会の円柱や壁の一部、羊を描いたレリーフ等が置かれています。
ベルガマの壷
ベルガマのベルガモン遺跡の大理石で作られたという大きな壷で、清めの水を入れていたそうです。回廊の両側においてあります。
聖母マリアの手形
正面に向かって左奥の回廊の柱ですが、別名「すすり泣く柱」といわれており、柱の窪みに手を入れた時に指が濡れると、視力が良くなる、子宝に恵まれる或いは願い事がかなうといわれているとのこと。
親指を入れて他の4本を柱につけて一回転できれば願い事がかなうということで、訪れた人がトライするのでしょうか、かなり磨り減っているのがわかります。
大ドーム
大ドームでは工事中でごらんの様な格好になっていました。壁のモザイクはまだ漆喰の跡が残っているところもあります。
ミフラーブ
正面奥にあるこのミフラーブは、モスクに欠かせないメッカの方向を示すものです。
又、写真には入っていませんがちょうどこの上の半円ドームには聖母子像のモザイクが残されています。
沈んだ扉
何故か沈んでしまって開閉できなくなっていて、木製の扉が追加されています。
    
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