今熊野観音寺
 
京都市東山区にある泉涌寺の塔頭のひとつである今熊野観音寺、正式なお寺の名前は新那智山観音寺といい、創建は大同年間(806~810年)に空海が庵を結んだのが始まりと伝えられており、西国三十三所第十五番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所となっています。
(所在地:東山区泉涌寺山内)
 
      
   
  鳥居橋
泉涌寺の参道から歩いてくると見えてくる朱塗りの橋で、下を今熊野川が流れています。
 
     
   
  境内入口にある石柱門  
     
   
  子護(こまもり)大師
境内に入ってすぐのところにある弘法大師の像で、正式には「子護弘法大師」と名付けられています。
 
     
   
  本堂
正徳2(1712)年に、宗恕祖元律師によって建立されたもので、弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩像が安置されいます。
本堂の右後ろに見える朱塗りの塔は、医聖堂と名付けられた多宝塔です。
 
   
   
  太子堂
東山大師とも呼ばれでおり、寺の開基である弘法大師が祀られています。
 
   
 
  ぼけ封じ観音像
今熊野観音寺は、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場の一番札所となっており、太子堂の前にある観音像は、心や体のぼけを取り除く観音像で、観音像の傍に小さな石仏(下の写真)が数多く置かれています。この石仏は寺を訪れた人達がぼけ封じを願って安置されたもののようです。
 
     
   
     
   
  医聖堂
境内の一段高いところにあるこの医聖塔は、医会に貢献された人たちを祭祀している平安様式の多宝塔です。
 
     
   
   「医心方(いしんぼう)」一千年記念の碑
「医心方」は、平安時代の宮中医官であった鍼博士の丹波康頼によって編纂された、日本最古の医学書発刊1000年を記念して、昭和59(1984)年に建立された石碑です。
 
      
   
   
稲荷社(上)と熊野権現社(下)
観音寺にある鎮守社で、太子堂の南側にあります。
 
 
   
     
 
  鐘楼
鐘楼にある梵鐘は、鋳造年月は不明ですが、第二次世界大戦時に発令された「金属類回収令」により供出されたものの、戦後返却されており、返却後の昭和21(1946)年10月に修理された記録が残っています。
 
   
剣神社
 
東山の音無川と今熊野川の合流点近くにある神社で、創建年は不明ですが、今熊野一帯の産土神で、とくに子供の疳虫封じ祈願 で知られています。
(所在地:東山区今熊野剣宮町13)
 
 
 
   
     
   
  おまけ  
     
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