オンフルールとカンブルメール

オンフルール(Honfleur)

ノルマンディー地方の港町で、セーヌセーヌ川の河口近くに位置するオンフルール。
この街を訪れるのは2002年に女房とフランス一周のツアーで訪れて以来ですから、17年ぶりの訪問です。当時はビデオカメラとコンデジで撮影しており、写真として残っているものは少なく、旧港以外の場所の記憶がありません。
オンフルールの街に名前は11世紀の半ばには文書に登場しており、12世紀にはイングランドに商品を運ぶための拠点となっていました。また、この街の港からは数多くの探検家が出発しており、特に1608年に出発したサミュエル・ド・シャンプラン(Samuel de Champlain)の探検隊は、カナダのケベックに着き、その後のケベック開拓の基礎を築いた人です。
 
 マップ
 
 
   
  駐車場でバスを降りて目についたのが、旧港の奥に見える観覧車。当時の写真がほとんど残っていないのでよくわかりませんが、何時頃できたんでしょうね。
 
 
 
 



海洋博物館(Musee de la Marine)

オンフルールの旧港のそばにあるこの博物館は、旧サンテティエンヌ教会(Saint-Etienne)のチャペルを改装して、オンフルールの歴史などを紹介する海洋博物館として使われています

      
 



オンフルール民族博物館(Musee du Vieux Honfleur)

このコロンバージュの建物は16世紀に建てられたもので、、かなり年季が入っていますが、かつては刑務所として用いられていました。
現在は、州の民族博物館となっており、様々な装飾品や民族衣装などが展示されています。
 
     
   
  市庁舎(Hôtel de ville d'Honfleur)
建物の正面には「HOTEL」とありますが、19世紀の半ばに建てられた市庁舎で、港のすぐそばにあり、町の歴史的建造物となっています。
 
     
   
     
   
     
   
   
 




旧総督の館(La Lieutenance)

上の写真は、旧港の入口のところにある建物で、かつて総督の館として用いられていた家です。
壁には探検家サミュエル・ド・シャンプラン(Samuel de Champlain)のレリーフ像があります。
シャンプランの探検隊は、1608年にここオンフルールの港を出発し、出発したカナダのケベックに着き、その後のケベック開拓の基礎を築き、「ヌーヴェル・フランスの父」と呼ばれた人です。
 
 
   
   
  サント・カトリーヌ広場
旧港のそばにある広場で、サント・カトリーヌ教会(Saint Catherine's Catholic Church)と、教会の鐘楼(Clocher Sainte-Catherine â Honfleur)があります。
フランスでは珍しく木造教会で、もともとこの場所には石造りの教会がありましたが、百年戦争で破壊されており、その後の15世紀後半に船大工によって建造されたゴシック様式の教会で、現存する木造教会ではフランス最古かつ最大の教会で、フランスの歴史的建造物に指定されています。
 
 
 
 
鐘楼   教会(裏側)
 
     
   
  こちらが教会の正面となりますが、他の教会はファサードに彫像が置かれていますけど、この教会では何も置かれていません。まるでマーケットの入口のような感じです。  
     
   
  教会内の天井は、船大工が造った教会だけあって船底型となっています。
 
 
   
  鐘楼のそばの家の屋根には二匹の猫が睨み合うような形でいます。といってもこれはモニュメントのようです。そういえば、ラトビアのリガを訪れたときに、大ギルドに反発して屋根に猫のモニュメントを置いた『ネコの家』というのがありましたね。
  
 
 
 



犬の糞処理

フランスの街を歩いて、うっかりすると犬の落とし物を踏みつけることがあります。
昔からフランスでは犬の糞処理には寛容であったため、あちこちで落とし物を見つけることが多かったと思う方がいるのでは。
最近では糞の始末を怠り、それが発見されると罰金が科せられるようになったとか、それも最近の罰金は何と450€、日本円で50,000円近くにもなるようです。

でも時々落ちているのを見かけます。落とし物に注意しながら歩かないといけませんね。
 
   ジャン・ド・ヴィエンヌ広場 灯台  
   
  サティの生家
1866年にオンフルールで生まれたエリック・サティ(本名はエリック・アルフレッド・レスリ・サティ Érik Alfred Leslie Satie)。作曲家として破天荒な生活を送った半面、ドビュッシーやラヴェルに与えた影響も大きいようで、音楽界の異端児、あるいは、音楽界の変わり者と称され、印象主義の作曲家にも影響を与えた人といわれています。現在は博物館が併設されています。
以下の2枚の写真は博物館に入ったSさんの撮影によるものです。
 
 
 
 

 
 
 
 



ポール・エリー・ゼェルネッツ(Paul-Élie Gernez)が住んでいた家

サティの家のすぐ隣にある家で、20世紀前半に活躍した画家、彫刻家そしてイラストレータであったゼェルネッツが住んでいました。
(「ゼェルネッツ」と読みましたが、インターネットで調べても日本語の結果が表示されませんでした。)
      
 



サティの家の塀際に置かれている赤いもの、「何だ」と思って調べたら消火栓でした。
      

 




Sさんがサティの家の博物館に入っている最中に、私は通りから見える灯台らしきものの写真を撮りに。
噴水のあるロータリー交差点のジャン・ド・ヴイエンヌ広場にあるこの塔、GoogleマップではVieux Phare de Honfleurと表示され、オンフルールの古い灯台と訳されます。
そばには灯台を描いた絵の説明板があります。19世紀に設けられた灯台を、記念物として移設したもののようです。
 
 
     
 
カンブルメール(Cambremer)

フランス北部のノルマンディー地方にあるカルバドス県にあるカンブルメールは人口1000人ほどの小さな村で、カーン(Cean)とリジュー(Lisieux)の間の約40kmにわたって続く「シードル街道」と呼ばれる街道沿いにあり、道にはリンゴの絵と「route du cidre」と記された道路標識があります。
春先には街道沿いに植えられたリンゴの木に花が咲き乱れるとのことですが、今の時期はそれは見られず、この地方特産の「カルヴァドス」と名付けられたリンゴ酒が目当てで訪れます。

といっても現役時代には付き合いもあって少しはお酒を飲んだ私ですが、リタイアしてからはほとんど飲みません。
 
 
      
 
醸造所でシードルの試飲ですが、どっちがシードルでどっちがリンゴジュースだったか、それとも両方ともシードル酒を飲まない私はあまり興味ないけど・・・・
 
 
   
  ノルマンディー地方のシードル酒で有名なのが「カルヴァドス」とか。これはそのカルアヴァドスの蒸留装置
 
 
   
  蒸留されたシードル酒は、オーク材で造られたこの大樽に入れて最低でも5年間熟成されます。
 
 
 
ブーヴロン=アン=オージュに向けてバスは出発しましたが、午後4時を過ぎているのに車外の気温は30℃近くのままです。
 
      
      
      
      
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