比叡山延暦寺 滋賀県大津市と京都市左京区にまたがる標高848mの比叡山全域にある比叡山延暦寺、平安時代初期の延暦7年(788年)に最澄(伝教大師)により開山された天台宗の総本山です。延暦寺は比叡山の山上から東塔、西塔、横川など三塔十六谷の堂塔の総称であり、ここでは浄土宗の法然、日蓮宗の日蓮、浄土真宗の親鸞など日本仏教史上著名な僧が修行を行っていることから「日本仏教の母山」と呼ばれており、1994年にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されています。 比叡山延暦寺は学生時代に修学旅行で訪れて以来ですので、五十数年ぶりの訪問です。 |
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東堂は延暦寺発祥の地にあたり本山にあたる根本中堂を中心とする地区になります。 |
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大講堂(重要文化財) もとの大講堂は1956年に火災で焼失したため、坂本の東照宮の讃仏堂をここに移築したもので寛永11年(1634年)に建てられたものです。 |
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文殊楼 延暦寺の山門にあたり、一行三昧院とも称されています。貞観6年(864年)に円仁により建立されましたが、その後焼失し、現在の建物は寛文8年(1668年)に再建されたものです。 |
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大黒堂 本尊は大黒天、毘沙門天、弁財天が一体になった「出世三面大黒天」で日本の大黒天信仰発祥の地に当たるとのことです。この大国道の最初の建物は織田信長の焼き討ちにより元亀2年(1571年)に焼失し、寛永年間(1624〜1644年)に再建されたものです。 |
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根本中堂(国宝) 最澄が延暦7年(788年)に建立した建立した一乗止観院の後身で、現在の建物は織田信長の焼き討ち後の寛永19年(1642年)に徳川家光の命により再建されたもので、本尊厨子前にある釣燈籠には創建以来灯り続ける「不滅の宝灯」があります。 |
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星峯稲荷 |
戒壇院 天長5年(828年)創建で重要文化財指定 |
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阿弥陀堂 昭和12年(1937年)に建立された壇信徒回向道場です。 |
法華総持院東塔 創建時の東塔は元亀2年(1571年)に織田信長の焼き討ちで焼失、以来再建されずにいたが昭和55年に再興されたものです。 |
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西塔 東塔から北へ1km位山を下ったところにあります。 |
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親鸞聖人修行の地 西塔の駐車場からにない堂に向かう途中の左側にあるこの場所は、年代は不明ですがかつてこの地にあった聖光院で親鸞聖人が念仏三昧の行を行ったといわれています。 |
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常行堂(上左)と法華堂(上右) 常行堂は阿弥陀如来を本尊とし、法華堂は普賢菩薩を本尊としており、文禄4年(1595年)二つのお堂は渡り廊下(右の写真)で繋がっています。 この全体の形が天秤に似ていることから「にない堂」の別名もあり、一説では武蔵坊弁慶が渡り廊下に肩を入れて担いだことから「にない堂」と呼んだともいわれています。(重要文化財指定) |
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釈迦堂(転法輪堂) にない堂の渡り廊下をくぐって階段を下りたところにあり、西塔の本堂にあたります。この釈迦堂は延暦寺に現存する建物の中では最も古いもので、元は三井寺の園城寺に会ったものを豊臣秀吉の命で文禄4年(1596年)に移築したとのことです。(重要文化財指定) |
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恵亮和尚(大楽大師)を本尊とする堂宇で、和尚は西塔の興隆に尽力し、また京都の妙法院を創建した人であるとのこと。 |
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椿堂 堂宇の手前にある看板には、その昔聖徳太子が比叡山に登ったときに用いた椿の杖をこの地にさして置いたところ、椿が芽を出したとの言い伝えがありこの堂宇を椿堂と命名したとのことです。現在の堂宇は元禄17年(1704年)に再建されたものです。 |
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奥比叡ドライブウェイ | |||||||
西塔から更に北へ約4km下ったところにある横川は、嘉祥3年(850年)に第3世天台座主慈覚大師円仁によって開基され横川中堂が中心となる地域です。 |
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駐車場から約3分くらい歩いて行くと龍が池弁天が見えてきます。 |
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横川中堂 横川地区の中心となる堂宇で嘉祥元年(848年)に最澄の弟子円仁による創建で、舞台造りが特徴です。創建以来いくたびか火災にあい焼失しており現在の堂宇は昭和46年(1971年)に再建されたものです。 |
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恵心堂(恵心院) 藤原兼家が元三慈恵大師のために建立した寺で阿弥陀如来を祀る念仏三昧の道場です。 |
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根本如法塔 慈覚大師円仁が天長年間に如法写経を行ったところですが織田信長の焼き討ちにより焼失、現在の堂宇は大正14年(1925年)に山口弦洞氏の寄進により建立されたものです。 |
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びわこ展望台で見るびわこの風景 |
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堅田の浮御堂 自宅に帰る前に堅田の浮御堂によってみました。海門山満月寺にある浮御堂は言い伝えによると恵心僧都(源心)による創建で琵琶湖に突き出た形で建てられており、近江八景の「堅田の落雁」で知られています。堂宇は昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊した後に昭和12年(1937年)に再建されたものです。 |
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