五島列島の旅 その3(2022.03.16撮影)

ツアー最終日の今日は中通島で観光して、佐世保から福岡経由で東京に戻ります。日程表では午前の観光しか記されていませんが、飛行機が福岡空港を出発するのは夜の8時近くです。間が空きすぎますがこの時間どう過ごすのでしょうか、チョッとミステリーな観光となりそうです。
 
 
   
  風もないので海も波がほとんど立っていません。穏やかな観光日和のようです。
 
 
 



海童神社

手前の鳥居の奥に何やら2本の棒が立っています。
バスガイドさんの話ではこれはクジラのあご骨を使った鳥居だそうです。
神社の創建年代は不明とのことですが、海童神(海の神のワダツミ)を主祭神としているとのことで、今は島の一部ですが、以前は島から少し離れた応護島に鎮座していて、船乗りたちの水難防止が祈願されていたとのことで、長さが4.5mほどあるクジラのあご骨は1973年に奉納されたとのことです。。
 
      
 
 
 
龍馬ゆかりの広場
江ノ浜郷の海沿いに「龍馬ゆかりの広場があり、祈りをささげる坂本龍馬の像があります。
1866年(慶応2年)4月28日(旧暦)に、龍馬が起こした商社である亀山社中がグラバー(トーマス・ブレーク・グラバー:幕末における長崎の武器商人)から購入した小型の練習帆船フイル・ウエフ号が長崎を出港し、鹿児島に向かう途中暴風雨により遭難したのは、ユニオン号と繋がっていた曳航策を切断した後のことでした。
船は沖合で転覆し亀山社中の池内蔵太をはじめ12名の同志が亡くなったとのことで、京都で発生した寺田屋事件で傷を負って療養中の龍馬が知らせを聞いて駆けつけ、慰霊碑の建立を当時の村役に依頼したとのことです。広場にはこの記念碑の他に当時の船の梶棒の原寸大模造が置かれています。

 
 
   
  フイル・ウエフ号の船の梶棒の原寸大模造
 
   
  「潮谷そど(騒動)」の歌碑

フイル・ウエフ号の遭難時に当時の村人たちがその様子を謡った俗謡の歌碑です。
 
龍馬ゆかりの広場から中通島の東側に位置する小さなこの島には頭ヶ島(からがしま)大橋を渡って行きます。島の面積はわずか1.88㎢、人口も16人しか住んでいないとのことですが、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の構成要素のひとつ「頭ヶ島集落」として含まれたことから、にわかに注目されている島といわれています。
 
 
 
 
頭ヶ島(かしらがしま)天主堂

明治時代の初めの五島崩れの際には信徒全員が島を離れて迫害を逃れ、禁教が解かれたのちに島に帰ったということで、石造りの頭ヶ島天主堂は1917年(大正6年)の創建で鉄川與助の手によるもので、建築に当たっての石積みには信徒たちが手を貸しているとのことです。
 
 
 
   


天主堂の外壁に積まれている石には刻み込まれて文字が見えます。
「目」と読めますが、そのの石にも刻まれているようですけど風化しており読むことができません。
ヨーロッパの教会でも石工たちが同じようなことをしていましたね。
      

 
  


キリシタン拷問五六石之塔

捕らえられたキリシタン達に棄教を迫る手段として行われた拷問の一種で、角材の上に正座させ、太ももの上に石を載せてゆく「算木(さんぎ)責め」とよばれていました。

    五島キリシタン復活信仰顕彰の碑
 
 
   ブレル師同伴信徒殉教者記念之碑
 
 
   
  初代頭ヶ島教会堂跡
潜伏キリシタンの中心的指導者であった森松次郎(洗礼名:ドミンゴ森松次郎又はドミンゴ松次郎)が屋敷を構えたところで、この地に仮の聖堂が建てられていました。
 
 
   
     
 
 
海岸近くにはカトリック教徒たちの共同墓地があります。そのそばには「白浜遺跡」の碑が建てられています。
碑には、1967年(昭和42年)に砂を採取中に人骨20体が発見され、調査の結果縄文時代の人骨であることが判明したとあります。
 
 
観光を終え佐世保に移動するため有川港に戻りました。ターミナルの建物はクジラの形の屋根です。広場には親子のクジラの像があります。
ここ五島列島の地方は江戸時代クジラ漁が盛んであったとか。ターミナル内に捕鯨文化を紹介するミュージアムもあるようです。 
 

 
 


広場には、ここ有川町出身の第50代横綱佐田の山の像があります。 

 
   


ターミナル内にはマスクをした祈る姿の坂本龍馬像があります。

私が龍馬の像を見るのは高知の桂浜をはじめとして函館、東京、京都、鹿児島そしてここ長崎ですが、調べてみると全国に20ヶ所あるようです。
 
   
  有川港から佐世保までは高速船びつぐあーす2号に乗船です。なんと最高時速は42ノット、キロに換算すると約78km、有川と佐世保の間を約1時間半でつなぎます。
当然のことですが、デッキに出ることはできませんし、座席には危険防止のためシートベルトが備え付けられています。
 
 
   
  佐世保に着いて弓張岳展望台に
佐世保に来たのはなんと1966年(昭和41年)以来のこと。実に56年ぶりですが、どこを回って何を見たのかまるで覚えていません。
さすが軍港の街佐世保、港に入ってくるのは自衛隊の船でしょうか。
 
 
   
     
  佐世保で電車に乗って福岡にと思ったら、なんとここから福岡までバスです。2時間半かかるとか、着いたらまた2時間待ちで午後8時前の飛行機です。
時間がギリギリの旅もつらいですけど、こんなに時間が余る旅も珍しいものです。も少しなんとか工夫できなかったんでしょうか。 
 
 
     
     
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