藤沢街あるき その1 旧東海道6番目の宿場町として栄えた藤沢宿、現在は神奈川県で4番目の45万人を有する街となっています。観光というと湘南海岸、そして江ノ島を思う人が殆どですが、藤沢駅周辺にも歴史的な建造物等があります。今回は藤沢駅北口から遊行寺、白旗神社などを歩いてみました。 |
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船玉神社 旧鎌倉街道沿いにあるこの神社は、鎌倉時代に三代将軍源実時が、宗にわたる船の用材を切り出したところといわれ、海上安全の守護の願いをこめて勧請したといわれています。 (所在地:藤沢市大鋸2-4-12) |
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遊行寺 正式な名称は、藤沢山無量光院清浄光寺といい、時宗の総本山で、通称の遊行寺又は藤沢道場の名で知られています。 寺は遊行上人4世の呑海によって正中2(1325)年に開山され、寺の門前町が藤沢発祥の地となりました。 寺への入口は黒門とも呼ばれている黒塗りの冠木門形式の惣門(総門)で、門の手前には、天保13(1842)年建立と碑文のある青銅製の燈籠があり、惣門をくぐると、阿弥陀様の四十八願にたとえて、「いろは坂」又は「四十八段」と呼ばれている上り坂となります。坂の両側は桜並木となっていて満開の時は写真のように桜のトンネルとなって見事です。 |
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山門跡 いろは坂を登りきったところにあった山門は、明治13(1880)年に起きた藤沢宿「大川火事」での被害を受けて焼失しましたが、それまでは銅屋根の仁王門となっていました。 現在は石造りの門に、時宗の宗紋である「折敷に三文字紋」があります。 |
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小栗堂 永享元(1429)年に遊行寺の塔頭として建立された寺で、長生院というのが正式な名称です。 小栗堂の名からわかるように、小栗判官伝説に出てくる照手姫が、晩年尼となって長生尼と名乗って住んだと伝えられている伝説が残されています。 |
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小栗判官と十勇士の墓 小栗堂の裏手に回ると、小栗判官助重とその家臣の墓があり、墓の右手には小栗判官が髪を洗ったと伝えられる小さな池があります。小栗判官の墓の後ろには、照手姫の墓と人食い馬と言われる荒馬の「鬼鹿毛」の墓があります。 |
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本堂 阿弥陀如来坐像を本尊とする本堂は、関東大震災で倒壊したのちの昭和12(1937)年に再建されたもので、木造の本堂としては東海道随一といわれる大きさです。 |
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境内の中央に聳え立つ.大銀杏は樹齢が500年とも700年ともいわれるもので、藤沢市の天然記念物となっています。 | ||||||||||
鐘楼 鐘楼に吊り下げられている銅鐘には南北朝時代の延文元(1356)年(南朝では正平11年)鋳造の碑文があり、総高168cm、口径92cmの大きさで、鎌倉地方の鋳物工物部氏の一族である光連の鋳造であることが奥書で判明しています。 この鐘は、永正10(1513)年に兵火により全山焼失した際に北条氏によって持ち去られていましたが、寛永3(1626)年に檀徒の手によって取り戻され現在に至っています。 |
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南部右馬頭茂時の墓 南北朝時代の元弘3年/正慶2年(1334年)、新田義貞の鎌倉攻めの東勝寺の合戦で北条氏が敗北、北条高時ら一族は自害し鎌倉幕府は滅亡しましたが、南部茂時は囲みを抜けてこの地に至り自害したと伝えられています。墓の両側には家臣の墓である五輪塔があります。 |
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放生池 五代将軍徳川綱吉の時代の元禄7(1694)年に「生類憐みの令」が発布され、「金魚、銀魚等を放生せんと思わば清浄光寺の道場の池に、そしてその数を目付に届け出すべし」と記録されているとのことで、以来、現在も毎年の春季開山忌に、この放生池で放生会が行われています。 |
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政宗稲荷大明神 妙善寺境内にあるこの稲荷社は、鎌倉時代から南北朝時代の刀工である五郎入道正宗がお参りをよく行っていたと伝えられる稲荷社で、後の人が「政宗稲荷」と名付けたといわれており、社殿には「政宗殿」の扁額が掲げられています。 (所在地:藤沢市藤沢1-5-3) |
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白旗神社 別名「白旗さま」と呼ばれるこの神社は、源義経を主祭神としており、創建年代は不明で、古くは寒川神社の祭神を祀っており、寒川神社と称していました。白旗神社と称されるようになったのは、宝暦2(1752)年からとのことです。 伝承では、文治5(1189)年に衣川の戦いで自害した義経の首級が鎌倉に送られ、首実検の後にこの地付近に葬られた(一説では飛んできた)ことから合祀されたと伝えられています。 なお、神社の入口となる鳥居は昭和59(1984)年に建立されたもので、高さ8m、幅6mあって、全国で初めてグラスファイバーを用いて設けられたものです。 (所在地:藤沢市藤沢2-4-7) |
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伝義経首洗井戸 衣川で自害した義経の首は、鎌倉の腰越で首実検後に片瀬の浜に捨てられたといわれています。のちに境川をさかのぼり白旗神社近くに流れ着いた首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたと伝えられています。井戸の左側には義経の首塚があります。 (所在地:藤沢市藤沢2-1-10) |
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砂山観音堂 藤沢橋交差点そばの小高いところにあるこの観音堂は、正式には砂山観音堂といい、寛永年間に創建されたといわれており、創建当時は見渡す限りの砂原であったことからここに立つと素晴らしい眺めであったのではと伝えられています。 この観音堂の本尊の聖観音は、俗に「帯解観音」と呼ばれ、毎月17日には懐妊や安産守護のご利益を求める女性が多く訪れたといわれています。 (所在地:藤沢市藤沢692) |
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