フランクフルト
 
ツアーも最終日、飛行機の出発は午後7時過ぎですが、本来組まれている日程表では出発まで自由行動です。ところが自由行動といっても泊まったホテルは市街地の空港に近いホテルです。添乗員さんにお願いして皆で市内を案内してもらうことに。そういえば前回ここに来た時も自由行動で、女房と二人で街中をてくてく歩いていました。
 
      
フランクフルトの摩天楼
フランクフルトはドイツ有数の商業、金融の中心都市であり、ニューヨークのマンハッタンをもじって「マインハッタン」とも呼ばれている高層ビル街は、インネンシュタット西部の銀行地区、バーンホーフスフィールテル東部、ヴェストエント南部に集中しています。
写真はバーンホーフスフィールテル地区にある高層ビルで、
左は欧州中央銀行のユーロタワー(高さ185m)
中央はコメルツ銀行タワー(高さ300m)
右はドイツ銀行ツインタワー(高さ155m)

     
 
     
  フランクフルト歌劇場
欧州中央銀行のユーロタワーのそばにあるこの歌劇場は、第二次世界大戦の爆撃で破壊された歌劇場(Oper Frankfurt)跡に1951年に建てられたもので、1987年に放火で大部分を焼失しましたがその後再建されたものです。
なお、フランクフルトには1880年に建てられたオペラ座がありましたが、こちらも戦禍にあいその後再建されて、現在はアルテ・オーパー(Alte Oper)という名で、コンサートホールとして利用されています。
 
   
グーテンベルクの記念碑
ロスマルクト(Roßmarkt)にあるこの記念碑は、フランクフルト近郊のマインツで生まれ、羅針盤、火薬と並んでルネサンス期の三大発明といわれる、活版印刷を発明したことで知られるヨハネス・グーテンベルクの像ですが、近くにグーテンベルク博物館もありますし、マインツ生まれのグーテンベルクとフランクフルトのつながりを調べたのですが、解らずじまいです。
    ロスマルクトから見るインネンシュタットの高層ビル
インネンシュタット地区はフランクフルトの商業の中心地で、大型店舗などがあります。
 
 
     
  レンタル自転車
自転車王国といわれるほど自転車利用の人が多いドイツ。
この自転車の後部には「DB」とありますが、ドイツ鉄道が行っているレンタサイクルです。ドイツ国内のどこの駅にもレンタルステーションがあり、一度登録すればどこでも借りることができ、地域によっては乗り捨て自由、費用も1分当たり0.08ユーロ、1日(24時間)で最高12ユーロとか。
 
     
  中央衛兵所(Hauptwache)跡
ハウプトワッフェ広場にあるこの建物は、1730年にバロック様式で建てられ、「Haupt=中央、wache=衛兵所」の名の通り衛兵所として用いられ、また牢獄としても用いられて、1905年からはカフェとして利用されていました。
建物は第二次世界大戦の爆撃で破壊され、1967年に再建されたものです。
 
   
エッシェンハーイマー塔
クローセ・エッシェンハイマー通りとシュティフト通りが交差するところにある高さ47mのこの塔は、1426年から1428年にかけて城壁の一部として建造されたもので、当時60近く市内にあった塔のうちほとんどは第二次世界大戦で破壊され、現在残っているのはこの塔を含めて3つだけです。
    聖母の泉
赤い砂岩で造られたこの噴水は、ノイエ・クレーメとプライデン通りが交差するところにあり、15世紀ころにこの地にあった噴水の跡に、18世紀半ばにバロック様式で造られたものです。(現在のものは第二次世界大戦で破壊されたのちの1970年に復元されたものです。)
 
             
カテリーナ教会
1749年に文豪ゲーテが洗礼を受けたこの教会は、ハウプトワッフェ広場に面して建っており、フランクフルトで最大のプロテスタント教会で、1678年から1681年にかけてバロック様式で、14世紀に建てられていた教会を建て直す形で建てられました。教会は、第二次世界大戦の空爆により破壊され、1955年に再建されています。
    パウロ教会
パウルス広場にあり、パウルス教会とも呼ばれるこの教会は、1786年に取り壊された中世の跣足教会に替えて、1789年から1833年に建設された教会です。
古典主義様式の円形の教会内では、1848年に「憲法制定ドイツ国民議会(フランクフルト国民議会)」が開催されています。
国民議会では、自由主義的なドイツの統一が検討されましたが、オーストリア帝国やプロイセンなどのの反対もあり制定はできませんでした。
 
 
     
レーマー広場
レーマー広場はフランクフルトのアルトシュタット(旧市街)にある広場で、広場の周りには14世紀に建てられた旧市庁舎(レーマー)をはじめ木骨組の建物が建ち並んでいます。
広場の中央には公正を表す天秤を持った正義の女神の像と噴水とバロック様式のミネルバの噴水があります。
   
     

切り妻屋根の旧市庁舎は貴族の3軒の館を15世紀初めに市が買収したものです。
 
東側の建物は第二次世界大戦の空爆の被害を受けて再建されたものです。


 
     
ニコライ教会
レーマー広場の南側にあるゴシック様式の旧ニコライ教会は創建が1150年で、1290年から14世紀までは、皇帝の礼拝堂でもありました。現在の教会は1440から1450年頃に後期ゴシック様式で再建されたもので、レーマー広場の建物の多くが第二次世界大戦で破壊されたにもかかわらず、無傷で残った建物です。
 
 
 
     
パンの移動販売
ドイツパンの「プレッツェル」、正しくはブレーツェル(Brezel)といい、独特な結び目の形をしたパンです。歴史は古く、ローマ帝国時代とか、古代ケルト人の時代とか中世の時代とかいろいろ説があったはっきりしないようです。
それにしてもこんなに多く籠に入れて販売していて売りさばけるのでしょうか
   
   

歩行者専用橋のアイゼルナー・シュテック(鉄の橋)から見るザールホーフ(歴史博物館)
ザールホーフの右後ろに見える尖塔はフランクフルト大聖堂の塔です。
   
     
フランクフルト大聖堂
正式名称を聖バルトロメウス大聖堂というこの大聖堂、その起源は、フランク王国メロヴィング朝時代の680年頃、ここに1人の少女が葬られました。それを元に宮廷礼拝堂が建てられたのがはじまりとされていて、その礼拝堂を13から15世紀にかけてゴシック様式で建てなおしたものです。
大聖堂内では16世紀のマクシミリアン2世から神聖ローマ帝国最後の皇帝であるフランツ2世までの歴代の皇帝の戴冠式が執り行われていました。そのことから別名をカイザードーム(皇帝の大聖堂)とも呼ばれています。
大聖堂は1867年の火災で焼失し、再建されましたが、第二次世界大戦でも被害を受け1950年代に再建されています。
   
 
     
   
     
ゲーテハウスとゲーテ博物館
1600年頃に建てられたこの家は、もともと2件続きの建物でしたが、1733年にゲーテの祖母が購入してその後ゲーテの父が改築して現在の姿となりました。
ゲーテは1749年にこの家で生まれ、ライプツィヒに移る1765年まで両親、妹とともに住んでいました。ゲーテ家族が離れた後はほかの家族が住んでいましたが、1863年に地理学者のオットー・フォルガーが購入して、もとの状態に復元して残すこととしたものです。建物は第二次世界大戦で被害を受けていますが戦後修復されており、隣接する博物館とともに見学が可能となっています。
   
 
       
アイゼルナー・シュテック(Eiserne Steg)
直訳すると「鉄の歩道橋」という名のこの橋は、マイン川に架かる1868年に建造された全長173.6mの歩道橋で、橋の欄干にはここにも「愛の南京錠」が多くかけられてます。。
橋は何回か架け替えられており、歩行困難者のために、橋の両側にはエレベーターが設けられています。
   
          
ホルバイン・シュテク(Holbeinsteg)
アイゼルナー・シュテックから800mほど下流にある歩行者と自転車の専用の長さ210mの橋で、1990年に架けられています。
   
 
      

ホルバイン・シュテクから見る風景(下流の橋はフリーデンス橋、円形のビルはウェスタンタワー)
 
アイゼルナー・シュテックから見るインネンシュタットの高層ビル
 
     
ミュージアムの岸の並木道
マイン川のザクセンハウゼン側にはムゼウムスウーファー(museumsufer ミュージアムの岸)と呼ばれる通りがあり、シュテーデル美術館、ドイツ建築博物館、ドイツ映画博物館など多くの博物館や美術館が建ち並んでいます。
通りにはご覧のようにプラタナスの並木道が2㎞近く続いています。
   
     

世界文化博物館
 
手工芸博物館
 
     
 
 
     
     
     
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