円覚寺
 

横須賀線北鎌倉駅を降りてすぐのところにある円覚寺、正式名称は「瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)」といい、臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山の第二位に列せられています。
「円覚寺」を我々は「えんかくじ」と呼んでいましたが、正式には「えんがくじ」なんですね。
寺は鎌倉時代の弘安5(1282)年に鎌倉幕府の執権北条時宗が元寇(蒙古襲来ともいいモンゴル帝国の日本侵攻で、文永11(1274)年に行われた文永の役と、弘安4(1281)年の弘安の役の2回ありました。)の戦没者供養のため中国より僧無学祖元を招いて創建したものです。
注:鎌倉五山とは禅宗の寺格(宗教的地位のこと)をいいます。詳しくはウィキペディアの鎌倉五山を参照、
 
      
    寺への入り口は北鎌倉駅の東口を出て50m位のところにあります。  
        
総門
40段近い石段を登ったところにある総門、「瑞鹿山」の扁額が掲げられています。
総門をくぐった左手には拝観受付があります。拝観料は300円です。
     
 
   
三門(山門)
伏見上皇の勅筆といわれる「円覚興聖禅寺」の扁額が掲げられたこの三門は、開祖無学祖元禅師の五百年遠諱(おんき)の年の天明5(1785)年に再建されたもので、神奈川県の重要文化財となっています。又非公開ですが楼上には十一面観音、十六羅漢などがが祀られています。
 
    
   
仏殿の扁額
ご本尊を祀っているのがこの仏殿です。何故か扁額だけ撮って全体像を撮っていません。
「大光明寶殿」と書かれたこの扁額は
後光厳上皇から賜ったものとか。建物自体は関東大震災で倒壊したため昭和39(1964)年に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
 
   
選佛場
僧堂或は僧堂とも呼ばれる茅葺のこの選佛場は、禅修行の中心となる建物で、元禄12(1699)年に建てられたものです。
 
   
居士林
居士とは在家の禅修行者のことをいい、過去に山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石などがここで座禅を組んだといわれており、現在でも多くの人が訪れているようです。
建物は大正11(1922)年に建てられましたが大正15(1926)年の火災で焼失し、柳生新陰流の柳生鉄心氏が寄贈して昭和3(1928)年に移築されたものです。
 
   
方丈
方丈とは住職が生活するところをいいますが、現在円覚寺の方丈は各種儀式・行事に用いられる建物となっています。
   
 
   

庭園
 
百観音
 
     
方丈の入り口となる唐門は天保10(1839)年に建立されたもので、扉の彫刻が見事です。    
   
   
   
妙高池
円覚寺創建時代からある放生池です。現在の姿は江戸時代初期の絵図をもとに復元されたもので、対岸の大きな石はトラの頭に見立てて「虎頭岩」と呼ばれています。
 
   
舎利殿
神奈川県唯一の国宝の建造物で、廃寺になった大平寺(鎌倉市西御門にあった臨済宗の尼寺)の仏殿を移築したもので室町時代中期(15世紀ころ)の建築といわれていますが、普段は非公開となっています。
 
 
 
 
仏日庵
円覚寺を開基した北条時宗を祀る寺院で、この建物は亡くなった北条時宗の遺体が庵の下に安置されていると伝えられる開基廟です。
 
   
  白鹿洞(びゃくろくどう)
円覚寺開山の際、無学祖元僧の説法を聴きに集まった聴衆のところに、この洞より多くの白鹿が出てきて聴衆とともに説法を聴いたとの言伝えがあるとのことで、「瑞鹿山」の山号はここからきているようです。
 
        
黄梅院
北条時宗公の夫人であった黄梅院が時宗公追善のために建立した華厳塔のあった場所で、円覚寺境内で最奥にあり、第15世夢窓疎石(夢窓国師)塔所です。境内には観音堂があります。
   
     
本堂  
観音堂
 
   
洪鐘(おおがね)と弁天堂
洪鐘道とある石碑のそばの石段を登っ所にあるこの梵鐘、正安3(1301)年に鋳造されたもので、北条定時公が国家安泰を祈願して鋳物師物部国光に制作させたものです。鐘は関東第一の大きさで高さ約2.6mあり国宝に指定されています。
鐘楼のそばにある弁天堂は、鐘の鋳造の際に江の島の弁天堂の加護により鋳造できたとのことで北条定時が建立したと伝えられています。
 
        
   
   
   


  円覚寺のマップ


  トップページに戻る    鎌倉に戻る   東慶寺と明月院を見る