世界遺産ダンブッラの黄金寺院 観光3日目、今日はダンブッラにある世界文化遺産の「黄金寺院」を観光してからキャンディまで移動です。昨日のシギリヤロックの階段の上り下りで脹脛が痛くなるかと思いましたが殆ど影響はありません。 ホテルを朝8時に出発して30分、まず立ち寄ったのが「ろうけつ染め工房」です。下絵の描かれた布の染色しない部分に溶かした蝋を染み込ませ、色がつかないようにしてから染色し、乾いたのちにお湯につけて蝋を落としてゆくという方法で作ってゆきますが、若い女性が数人作業をしていました。 |
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蝋はすぐに固まってしまいますので、すこしずつ蝋付けしてゆきます。結構根気が入りそうです。 | |||||||||||||
左は染色し終わった布、お湯につけて蝋を落とすと右のようになります。 | |||||||||||||
ろうけつ染め工房の庭には日本の幼稚園で使っていたと思われるバスが輸入されたままの姿でありました。街中でも日本語か書かれたままの中古車を結構見かけます。 | |||||||||||||
ろうけつ染め工房から30分ほどでダンブッラに到着です。ダンブッラの黄金寺院は岩山の中腹にある岩窟に建設されているため下から観光を開始すると階段や坂を往復することになります。ラッキーなことにドライバーさんが上まで車を回してくれましたので上り坂はほんの少し、年寄りに配慮してくれています。 ダンブッラの黄金寺院は紀元前3世紀ころから歴史があり、当時は僧院として機能していましたが、紀元前1世紀にシンハラ王朝第19代のワッタガーマニー・アバヤ王によって寺院に転換され、その後発展を続けてスリランカを代表する寺院となりました。 現在残っている岩窟寺院はアヌラーダプラ時代(紀元前1世紀~993年)と、ポロンナルワ時代(1073年~1250年)に建設されたもので、5つの岩窟で構成されており、スリランカにおける仏教建築で最も代表的なものとなっています。このダンブッラの黄金寺院は1990年にユネスコの世界遺産に登録されています。 |
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寺院は手前が「第1窟」奥が「第5窟」となっています。外側の遺構は800年前に造られたものです。 | |||||||||||||
第5窟 一番新しい岩窟で、「テワナ・アルト・ヴィハーラ」という名前がついており1915年に造られたものです。 |
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第4窟 「3人の王の寺(パッツィーマ・ヴィハーラ)」と名前がついたところでキャンディ王朝末期に造られたところです。ここではかつて仏像の手に座って写真を撮った人がおり、法力が失われてため仏像を塗りなおしたことがあり、また、一時的に入室禁止となっていたようです。 |
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第3窟 第3窟は「新僧院」と呼ばれており、キャンディ王朝時代に描かれた壁画と天井が、50体もの仏像と王の像が安置されています。 |
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第2窟 別名「マハラジャの石窟」とも呼ばれており、黄金寺院では最大の規模の石窟で幅が50mほどありヒンドゥーの神であるサーマン、ヴィシュヌの心臓が収められ合計56体もの仏像が安置されています。また2000㎡にも及ぶ天井画には釈迦の説法やスリランカの歴史画が描かれています。 |
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第1窟 「聖王の石窟」と呼ばれる第1窟、黄金寺院最大の高さ14メートルの天然石による涅槃像が安置され、足の裏は赤く塗られています。 この理由は仏陀が入滅した紀元前5世紀にシンハラ王朝のウイジャヤ王がスリランカに来た際その足裏に赤土が付いていたことからといわれています。 あまりに大きすぎるのと部屋が狭いので全身像が撮れません。 |
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石窟を繋ぐ回廊(全ての石窟が繋がってはいません。) | インドから運ばれたといわれる菩提樹 |
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石窟をでてから階段と坂を下ると黄金寺院の駐車場があるところです。 巨大な黄金の仏像はともかく台座の装飾は何といったらよいのでしょう。ただしこの建物、寺院ではなく博物館だそうです。 |
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岩窟へ行く途中での眺望。うっすらと見えるのはシギリヤロック? |
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黄金寺院を観光してキャンディの町へ移動ですが途中パラパスウェアという町にあるスパイスガーデンに立ち寄り見学と昼食です。 | |||||||||||||
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