バンスカー・シュチャヴニツァ(Banská Štiavnica) |
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ニトラから東に約1時間バンスカー・シュチャヴニツァに到着、ニトラでは晴れていたのに少し雲が出てきました。聖三位一体広場の近くでバスを降ります。 バンスカー・シュティアブニツァとも呼ばれるこの町は、スロバキアの中央バンスカー・ビストリツァ県にある山間の町で、町の名前の最初にある「バンスカー」が、現地の言葉で「鉱山」を意味しているように、中世の時代から金、銀の鉱山の町として知られる古い町で、17世紀前半には初めて火薬を用いて採掘がおこなわれ、1762年にはマリア・テレジアの援助によって鉱山学校が設立(世界で初めての工科大学)されるなど、18世紀半ばに最盛期を迎え人口も4万人を超えるほど栄えていましたが、19世紀半ばより鉱山の産出が減少したこともあって衰退し、現在では1万人足らずの町となっています。 ここバンスカー・シュチャヴニツァは、「バンスカー・シュチャヴニツァ歴史地区と近隣の工業建築物群」のなで1993年にユネスコの世界遺産に登録されています。 |
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聖カタリーナ教会(Kostol svätej Kataríny) 1491年に後期ゴシック様式で創建された教会です。 |
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市庁舎前にあるラドニッネー広場(Radničné námestie)の壁には大きなレリーフがあります。造られた当初はこのレリーフに、採掘した金や銀の鉱石が多く埋め込まれていたとのことですが、今はほとんど残っていません。 レリーフの中央には、鉱山学校設立に協力したマリアテレジアの肖像があます。 |
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トカゲの一種であるサラマンダーが、口に金鉱石を咥えています。 |
こちらのレリーフの中央に埋め込まれているのは銀鉱石のようです。 |
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旧城(Starý zámok) ラドニッネー広場のレリーフの脇にある階段を上ってゆくと旧城に着きます。 この城は13世紀に設けられたロマネスク様式の教会を、15世紀から16世紀にかけて、オスマン帝国の侵攻に供えて城壁を設けて要塞化したもので、現在は市の博物館として利用されています。 |
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城門を抜けると城の中庭に出ます。城壁に沿って見廻りのためでしょうか、回廊が設けられています。 | ||||||||||||
中央部には居館があります。 中にはフレスコ画が描かれていますが、あいにくと殆ど剥げ落ちています。 |
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居館には中庭が設けられており、紋章が刻まれた石板が何枚が置かれています。 |
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居館に沿って曲がると中庭の片隅には井戸、そしてお墓があります。 | ||||||||||||
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階段を上って城壁沿いに少し歩いてみます。窓からはバンスカー・シュチャヴニツァの街並みが望めます。 | ||||||||||||
城の外に出てみると、南側の丘の先に新城(Nový zámok)の塔が見えます。オスマン帝国との戦いのために16世紀半ばに建てられた城です。残念なことにここの観光予定はありません。 | ||||||||||||
これは何のモニュメント?人間の足かと思いましたけど、つま先は人間の足ではなさそうなので・・・・・ | ||||||||||||
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セイヨウナナカマド(バラ科) |
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まだまだ見たいところはあるけど、すでに午後6時、今日のホテルのあるバンスカー・ビストリツァ(Banská Bystrica)に向けて出発です。 | ||||||||||||
バンスカー・ビストリツァに着いたのは午後7時少し前、レストランで食事してからホテルにチェックインです。 町は第二次世界大戦末期に発生した反ナチスの大規模な抵抗運動「スロバキア民衆蜂起」の中心となった所ですので見どころはありそうですけど、ホテルは町の郊外にあるので、恒例の朝の散歩はお休みとなりそうです。(写真は中央広場) |
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