アレキサンドリア
 
前日ルクソールの観光を終わってアレキサンドリアへの移動はなんと午前3時半のモーニングコール。エジプト航空のMS132便は6時30分にルクソール空港を出発です。
約1時間でカイロに到着し、午前中はカイロ市内のモスクや市場を見学し、昼食後にアレキサンドリアへバスで移動。
移動はまたもパトカーの護衛付で、通称砂漠街道(道路に看板が多いので「看板街道」とも呼ばれているとか)をトイレ休憩も併せて3時間かけて移動しました。
アレキサンドリアは紀元前331年にマケドニアのアレキサンドロス大王によって建設され、その後プトレマイオス朝時代に首都として栄えたこともあるようです。
街は、エジプト第2の都市で、地中海に面して大きく弧を描く海岸通が十数kmにわたって続き、観光客が多く訪れる街です。
本来海岸線はもっと長かったようですが、14世紀に発生した大地震によりかなりの部分が海に沈んだそうで、海底からは相当数の遺物が発見され市内の博物館に保存されており、現在も発掘が続けられているとのことです。

 
  
砂漠街道の風景
「砂漠」とは言ってもこのような風景が続き工場等も見られます。
バスの車内からの撮影ですのでチョッと色が悪いですが。
  
無名戦士の墓
海岸に面した通りのオラーピー広場にあります。
 











カイトベイの要塞

地中海に突き出した半島の北東端にある、15世紀にスルタン・アシュラフ・カイト・ベイが築いた要塞の跡です。
現在は海洋博物館として利用されているとのこと。
古代の世界七不思議にも数えられる「ファロスの灯台」があった場所として知られています。
ファロスの灯台は紀元前3世紀に高さ120mで築かれ、その光は50km先でも見えたそうですが、14世紀の大地震で崩壊したとのことです。
訪れたときは、観光客だけでなく、現地の人たちも大勢来ており、ここはデートスポットとしても有名なところのようです。
  
海岸通

カイトベイの要塞からモンタザ宮殿までこのような海岸線が続き、多くのホテルが並んでおり、観光客も多くニースのプロムナード・サングレを思わせる雰囲気があります。
 
モンタザ宮殿

19世紀の終わりに建てられたこの宮殿は、トルコ風とフィレンツェ様式で建てられた、地中海に面して広大な敷地を持った宮殿で、王家の夏の別荘として利用されていたとか。
内部は公開されていないようですが、若者のデートスポットとしても有名な場所のようです。
下の写真は、モンタザ宮殿の敷地内にある宿泊したホテルの窓から撮影したものです。
 
プライベートビーチ
宮殿敷地内のホテル用でしょうか、プライベートビーチとなっているようです。
 
宮殿敷地内のホテルの夜景
夕食を食べたレストランがあるホテルですが、かつては王家の迎賓館として使用されていたものとか。
下の写真はホテルの内部です。
 
市街の風景
カタコンペの近くでの市街の風景です。カタコンペの内部は撮影禁止で表に出て撮影したものです。
一歩裏通りに入るともうチョッと汚い風景となります。
 
市街の風景
頭に物を載せて歩く婦人を見かけることがありますが、自転車でこのようにして運ぶとは。
 
ポンペイの柱

カイトベイの要塞からバスで15分くらいのところにあり、3世紀の終わりにローマ皇帝のディオクレティアヌス帝が建造した「神殿」か「図書館」の跡といわれています。
高さ25メートルのアスワンの花崗岩からできているこの柱が400本もあったそうですが、それだけのものをどのようにして運んだのか想像もつきません。
 
遺跡の発掘
ポンペイの柱の周囲では、現在も遺跡の発掘作業が行われています。
 
路面電車
アレキサンドリアの市街を走る路面電車です。相当年季の入った車両のようです。
 
 
 
 
 
 
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