明石城(2014年4月6日撮影) 日本百名城58番に選定されている兵庫県明石市にある明石城は、別名 築城においては幕府の「一国一城令」により廃城となった三木城や船上(ふなげ)城などの木材を、 藩主は転封、転封でめまぐるしく変わり、特に延宝7年(1679年)に入封した本田正利は、苛政を責められわずか3年で陸奥岩瀬藩に減知転封となり、越前松平家より松平直明が入封。明治維新まで続きました。 城は明治の廃城令により、神戸相生小学校(現在の湊川小学校)の建築用材とするため北東の |
|||
明石公園と書かれた碑石のあるあたりが当時太鼓門が置かれていたところです。 | |||
西芝生広場より見る |
|||
西芝生広場には日時計が設置されています。ここ明石は東経135度、日本標準子午線の通る街です。 カメラのGPSを見ると東経134.5931度となっていますのでここよりもう少し東側が東経135度なのでしょうか。それともカメラのGPSがずれているのかも。 |
|||
本丸南東端に築かれている三層入母屋造りの巽櫓 | |||
巽櫓と |
|||
広場の向こうにはJR明石駅が見えます。 |
|||
明石城で最も大きい |
|||
明石公園は「日本のさくら名所100選」にも選ばれているところで訪れたときは桜も満開で家族連れの観光客でにぎわっていました。この池は公園内ににある池の中でで最も大きい剛池(鴻池)です。 | |||
巽櫓 |
|||
トップページに戻る 天空の城竹田城を見る | |||