会津若松 鶴ヶ城と会津藩校日新館  
   
鶴ヶ城(2011.04.29及び04.30撮影)
2年前に訪れた会津若松の鶴ヶ城(別名 若松城又は会津若松城)の天守閣が江戸時代末期に用いられていた赤瓦への葺き替え工事が完了し、また桜も満開との情報もあり訪れてみました。
  
 
 
   
 

二の丸から見る廊下橋と天守閣
 
太鼓門の桜
 

お濠の桜

三の丸の桜
 
鉄門(くろがねもん)から見る天守閣
 

南走長屋(みなみはしりながや)と天守閣
 
南走長屋と
干飯櫓(ほしいやぐら)
 

本丸から見る天守閣
茶室麟閣
 
   

夕日に染まる天守閣
 
   
 
   
 
    
 
   
会津藩校日新館
江戸時代の各藩では藩校という学問所を設けていましたが、その中でも規模と内容において随一といわれていたのがこの会津藩校日新館です。五代藩主松平容頌(かたのぶ)の時代に家老田中玄宰(はるなか)の進言により創設されたとのことですが、創設当時の広さは8000坪近くもあり、藩士の子息たちは10歳になるとここに入講し、論文の素読から天文学、礼儀作法、剣術、弓道等の武道、馬術そして砲術等を学んだとのことで、戊辰戦争で自刃した白虎隊の若い藩士たちもここで勉学の途中であったそうです。建物は戊辰戦争によりその全てを焼失しましたが、昭和62年に復元されました。
 
    
南門
藩校の正面入口となる門でした。
 
   
戟門 (げきもん)
「戟」と呼ばれる武器をもった衛兵が立っていたことから戟門と呼ばれるようになったそうで、門の横には太鼓が置かれてこの太鼓により時を知らせていたとのことです。
 
   

書読塾での論文の勉強風景

天文学の勉強風景
 
   
水練水馬池
水練、いわゆる水泳の訓練場で向井流という日本泳法の訓練が行われた日本で始めてのプールであったとか。訓練は甲冑をつけても実施されていたようです。
奥の建物は「武講所」です。
 
   
弓道場
訪れたときは県内の高校の弓道部の生徒さんたちが練習中でした。
 
    
       
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