ポルト歴史地区
 
今日は観光最終日、ポルトガル第二の都市ポルトの観光です。
大西洋にそそぐドウロ川の河口に近いところにある町ポルトは、ローマ時代の港町ポルトゥス・カレが起源で、ローマ時代にはこの周辺をコンダドゥス・ポルトカレンシスといい、ここに成立した王国が、ポルトガル王国となり、。ポルトガルの名の由来となっています。街はイスラム勢力に一時占領されましたが12世紀のレコンキスタで奪回され、14世紀から15世紀の大航海時代にはここで造船された船が、ポルトガル発展に大きく寄与したといわれています。また、ドウロ川沿岸で生産されるワインも、ここポルトを出発点として各地に輸出されていました。
町の旧市街にある聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ポルサ宮、聖フランシスコ聖堂などは、1996年に「ポルト歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、2016年に「ポルト歴史地区、ルイス1世橋 およびセラ・ド・ピラール修道院」の名に名称変更されています。

 
朝9時半にホテルを出発。今日は観光最終日だというのに、また曇り空です。せっかくのポルトの景色が・・・・・
 
  
 
   
セラ・ド・ピラール修道院(Mosteiro da Serra do Pilar)
ドン・ルイス1世橋とポルトの旧市街を眺めることのできるヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区の高台にあり、独特な円形をしたこの修道院は、16世紀に創建されたもので、19世紀になるとその立地すら要塞としての役割を担うこととなり、20世紀になると軍の施設として使われていました。修道院は現在も使われているため、その内部は一部しか見ることはできませんが、絶景ポイントとしておすすめのポイントです。
     
 
     

セラ・ド・ピラール修道院から見るドン・ルイス1世橋とポルト旧市街
 
   
   
セラ・ド・ピラール修道院から見るとポルト旧市街   
     
ドン・ルイス1世橋
ドウロ川に架かるこの橋は、道路・鉄道併用の橋で、2階建て構造となっており、下の部分は車と歩行者、上の部分はメトロと歩行者用となっていてポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいます。
橋は、エッフェル塔を設計したアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルの弟子である、テオフィロ・セイリグが設計して、1886年10月31日に国王ルイス1世出席のもとに開通式が行われました。
訪れたこの日は橋の上で撮影が行われており、10分以上足止めをされる始末でした。
     
 
    
セラ・ド・ピラール修道院から下を見ると赤煉瓦屋根の大きな建物が何棟も並んでいます。ドウロ川を下ってきたラベ―ロ(Rabelo)船が運搬したワイナリーの建物です。
手前のコンクリート造りの建物は、テレフェリコ・デ・ガイア(Teleférico de Gaia)と名付けられたロープウェイで、ドン・ルイス1世橋の近くの駅から標高差57m、距離562m離れた川岸近くの駅まで約4分で行くことができるようです。我々はこの後ドウロ川クルーズの予定があるので乗車しませんてしたが、空中散歩でポルトの街並みを見るのもいいかもしれませんね。
   
 
   
ドウロ川のラベーロ船
ポルトの対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区にはワインセラーが何軒もありますが、ここにある倉庫まで、ドウロ川上流のワイン生産地から、このラベ―ロ(Rabelo)と呼ばれる船にワイン樽を積んで運んでいました。
鉄道や自動車の交通が発達する以前では、唯一の交通手段だったのでしょうが、この小さな船で100km以上も川下りするのは大変だったのではないでしょうか。
   
         
リベイラ広場(Praça da Ribeira)
ドウロ川の川岸にあるこの広場は、大きなサイコロのモニュメントがあることから、別名サイコロ広場(Praça do Cubo)とも呼ばれています。
           [モノクロで撮ってみました。]
広場に面した建物の壁には、サン・ジョアン(São João Batista de Cutileiro)の人形?とポルトガルの紋章があります。(右の写真)
   
 
     
エンリケ航海王子広場とボルサ宮
広場の中央にはエンリケ航海王子の像があり、その後ろにはボルサ宮、さらに左奥にはサン・フランシスコ教会が見えます。
ボルサ宮(Palácio de Bolsa)は、1834年に焼失したサン・フランシスコ修道院の跡地に建てられた建物で、「宮殿」の名はついていますが、ボルサはポルトガル語で、「株(券)」という意味で、証券取引所として使われていた建物です。
   
          
サン・フランシスコ教会(Igreja de São Francisco)
13世紀に創建された小さな聖堂を、1383年にフェルナンド1世の庇護のもとに拡張したのがこの教会で、1833年のポルトガル内戦の際のポルト包囲により火災に遭い、古い回廊と教会一部の崩壊しました。その後バロック様式で再建されましたが、メインファサードのバラ窓は、創建当時のゴシック様式です。
   
 
     
  聖ニコラス教会(Igreja de S. Nicolau)
ボルサ宮のあるフェレイラ・ボルジェス通りからインファント・ドン・エンヒーケ通りに突き当たった所にある教会で、17世紀後半にバロック様式で建てられており、ファサードには一面のアズレージョがあります。
    エンリケ航海王子の生誕地?
14世紀の半ばに建てられたこの家で、エンリケ航海王子が生まれたと伝えられていますが定かではないようです。(建物はインファント・ドン・エンヒーケ通りからアルファンテガ通りに入ったところにあります。)
写真は建物(Casa Do Infante)の壁にある碑文
 
       
昼食をとった後に30分ほどドウロ川クルーズです。船はリベイラ広場より少し下流にある船着場から出航して上流に向かいます。  
 
ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区。ドン・ルイス1世橋の上にはセラ・ド・ピラール修道院が見えます。
 
     
ドン・ルイス1世橋の上段に人が鈴なりで、下を眺めています。(上の写真)
ドン・ルイス1世橋の川面からの高さは約45mといいますから、高所恐怖症の人は橋を渡ることはもちろん川面を見下ろすことはできないでしょうね。
下を眺める理由は、リベイラ広場の下の岸壁そばでモトクロスが行われているからです。(下の写真)
オートバイが川辺に造られた浮橋の上を渡っての競技のようですが、バランス崩すと川の中にドブンッとなり、そのたびに大きな歓声が起こります。
 
 
 
     

クルーズ船から見るドン・ルイス1世橋
 
14世紀に旧市街の周囲に造られたフェルナンディーナ城壁
 
   

クルーズ船から見るリベイラ広場とポルト大聖堂
 
クルーズ船から見るサン・フランシスコ教会
 
     
  インファンテ橋(Ponte Infante Dom Henrique)
ポルトのドウロ川に架かる橋で一番新しく2003年に設けられたもので、正式には「エンリケ航海王子橋」というようですが、通称の「インファンテ橋」で地図上は表記されています。橋は、ドン・ルイス1世橋の上層部がメトロ用となったため、自動車専用として設けられたものです。
 
        
  マリア・ピア橋(ポルトガル語:Ponte Maria Pia)とサン・ジョアン橋(Ponte de São João
手前に架かっているのがマリア・ピア橋で、ギュスターヴ・エッフェルの設計により、1877年に架橋された鉄道用線路です。この橋を架けることでリスボンとの距離が12キロメートル縮まったといいますから、費用対効果はかなり大きかったのではないでしょうか。
奥に架かっているのがサン・ジョアン橋で、マリア・ピア橋の老朽化により設けられた橋で、1991年に運用が開始され、、同時にマリア・ピア橋は114年の役目を終えました。
サン・ジョアン橋を潜ったところでUターン。下流に向かいます。
 
       
  丘の上にある白く大きな建物は、14世紀に建てられた旧司教館、エピスコパル宮殿(Paço Episcopal do Porto)と呼ばれています。その手前には坂の多い街ポルトですので、リフト(エレベーター)があります。
 
       
   
マサレロス教会
1394年に、イギリスより帰国途中海難事故に遭った船員によって創建された教会です。

  ワインセラーのあるヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区には、このようなワイン保管用の大きな倉庫が何棟も建ち並んでいます。  
  アハビダ橋(Ponte da Arrábida)
ドウロ川の一番下流に架かる橋で、欧州自動車道路E10号線の、片側3車線の自動車専用橋となっており、橋の長さは約493m、水面からの高さは約70mあります。橋は1963年に架橋されて以来50年以上経過していますが、まだ現役のようです。
いちばん下流の橋といっても、ここから河口まで約3km近くあります。

ここでUターンして船着場に戻ります。
 
   
  川岸にはヘリポートがあり、ヘリツアーも行っているようです。クルーズもいいけど、空からポルトを見るのもいいかもしれませんね。  
   
ポルト大聖堂(Sé do Porto)
市内で最も古い建造物で、6世紀ころにあった司教座が基となって12世紀のはじめに建設が開始され、13世紀にロマネスク様式で完成しています。
右の2枚は正面ファサード、下の3枚は北側の回廊です。
   
 
   
   
 
   
  ペロリーニョ(Pelourinho)
大聖堂前の広場にあるペロニーリョと呼ばれるこの柱は、15世紀ころから用いられていた罪人の晒し台として使用されていたものです。
クロアチアにも「恥の柱」と呼ばれるものがあり、イタリアのヴェローナにも「晒し台」がありましたが、それと同じようなものですね。
 
  ヴィマラ・ペレス伯の騎馬像
ヴィマラ・ペレスは、868年に最初のポルトゥカーレ伯領を築いた伯爵です。
 
   
サン・ベント駅(Estação de São Bento)
ポルト・サン・ベント駅(Estação Ferroviária de Porto - São Bento)とも呼ばれるこの駅は、ポルト中央駅として1916年に開業した駅で、20000枚ものアズレージョを用いて造られたホールがとても見事です。
この駅は、昨年12月にアメリカのTravel & Leisureにより「世界で最も美しい駅14選」のうちの一つに選ばれました。(その中には日本の金沢駅、スペインはマドリードのアトーチャ駅、トルコはイスタンブールのシルケジ駅などがあります。)
駅の左側に見るのは、18世紀のはじめごろに建てられた、コングレガドス教会(サン・アントニオ・コングレガドス教会(Igreja de Santo António dos Congregados))です。
   
     
   
     
   
        
  リベルダーデ広場の騎馬像
駅そばにあるリベルダーデ広場(Praça da Liberdade)は、ポルトの中心部といっていいところで、大勢の人で賑わっています。像はドン・ペドロ4世です。
後に見える塔はポルト市庁舎の時計塔です。
 
  クレリゴスの塔
1750年に建てられたクレリゴス教会(Igreja dos Clérigos)の鐘楼で、鐘楼だけは教会より遅れて1764年の建設となっています。
塔の高さは75..6mあり、225段の階段を上がって頂上からポルト市街を見ることができるようです。(写真ではわからないですけど、4人ほど上に人がいます。)
 
        
レロ・イ・イルマオン書店
リスボン広場に面して建つこの本屋さん、なんでも世界で三番目に美しい本屋さんか。
映画ハリーポッターのロケで使用されたとのことですが、入場料は4€。本を買えば本代を値引きしてくれるようですけど、本を買わない場合はちょいと高めの木がしますね。おまけに中は冷房が効いていないのか蒸し暑いし…・
     
 
        
カルモ教会(Igreja dos Carmo)
カルロスアルベルト広場通りとカルモ通りの交差点角にある教会で、左側にあるカルメリタス教会(Igreja dos Carmelitas Descalços)とくっついて建てられています。
カルモ教会は、バロック/ロココ様式で18世紀後半に建てられたもので、壁面の大きなアズレージョは1912年に設けられたものです。(トラムの架線がちょいと邪魔しています。)
   
        
 
 
        
今日で全ての観光を終え、明日はいよいよ帰国の途へ。モーニングコールは何と朝3時です。  
     
        
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