チェスキー・クルムロフ ヴルタヴァ川が大きく湾曲したところにあるチェスキー・クルムロフは南ボヘミア地方にある小さな街です。街の名前のチェスキーとはチェコ語で「ボヘミアの」、クルムロフはクルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を意味するそうです。 13世紀に街と城の建設が行われ、14世紀には手工業と交易が盛んになり、16世紀にはいるとルネサンス様式の建物が多く建てられ色彩鮮やかな華麗なる街が形成されていったとのことです。その後街はエッゲンベルク家そしてシュヴァルツェンベルク家と支配者が変わり19世紀の産業革命の時期において鉄道路線から外れたこともあって工業化が遅れ衰退の一途をたどって古い街並みが残されることとなりました。 特に第2次世界大戦後は街の住民の多くを占めていたドイツ系住民を追放。更には社会主義政権時代に入り歴史的建造物が「封建時代の遺構」とみなされ修復がなされなかったことが街の荒廃につながったようです。街の復興は1960年以降に徐々に行われ1989年のビロード革命以降に歴史的価値が再認識されて建造物の修復が急速に進められ、町はかつての美しさを取り戻し1992年にはユネスコの世界遺産に「チェスキー・クルムロフ歴史地区」として登録されることとなりました。 |
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街の高台からはチェスキー・クルムロフの街並みが一望できます。 |
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旧市街入口にある街の看板 ヴルタヴァ川が大きく蛇行しているところに街があるのがよくわかります。チェスキー・クルムロフ城は中央上部にあります。 |
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ヴルタヴァ川 街中を流れるこの川は2002年8月に大雨により氾濫、街に多大の被害を及ぼしました。 |
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スグラッフィート技法の施された壁 16世紀のルネサンス期にイタリアやドイツのバイエルン地方で流行したスグラッフィート技法で、壁の漆喰の一部を掻き落とすことによって装飾するものでフレスコ画と同じようなものだそうです。 |
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シロカー大通りの街並み スグラッフィート技法が施された家やフレスコ画の描かれた家が建ち並んでいます。正面奥にはチェスキー・クルムロフ城が見えます。 |
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ヴルタヴァ川で見るチェスキー・クルムロフ城 |
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赤い門(この門をくぐると城内となります) |
回廊 壁にはフレスコ画やスグラッフィート技法が施されています。 |
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濠で昼寝をするる熊 この城で飼われている熊、その昔狩に出かけた王が熊に襲われ逃げ帰ったところ熊が追いかけてきて王が上げた跳ね橋の下の濠に落ちたとのこと、以来370年以上もこの濠で飼われているとのことです。普段は橋の下にいて余り姿を見かけないとのことですがこの日はなぜか見えるところで昼寝。フェンスには「餌をあげないで、身を乗り出さないで」の注意看板が。 |
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第二の中庭(左)と第三の中庭(右) 中庭に面した壁はスグラッフィート技法が施されたり、だまし絵が描かれています。 |
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フラデークの塔から望むチェスキー・クルムロフ城とチェスキー・クルムロフの街並み | ||||||||
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プラーシュチョヴィー橋 三層構造のこの橋は右側の城の部分と左側にある劇場や庭園を結ぶ端となっています。 |
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昼食をはさんで約3時間のチェスキー・クルムロフの観光、小さい街とはいえ見るところはまだまだあるようでしたが午後3時過ぎ出発です。 |
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